八ヶ岳が浅間山のように、もうもうと煙をはきだしていたころの事です。
その頃は、富士山もやはり、もうもうと煙をはいていました。
富士山は女の神様ですが、たいそう威張ることが好きでした。いつもまわりの山に向かっては「見たところ、私が日本一高い山のようですね。…雨でも雪でも自由に降らすことができますと、えへん」と、高い鼻をツーンとさせて、得意になって自慢していました。
ある日のことです。いつものように雲の上から、「えへん。私は、日本一高いですよ。」と、すると、とつぜん遠くから、「日本で一番高いのはこのわしじゃ」と、ごぶとい声が飛んできました。ーまあ失礼な。いったい誰でしょう。ー
富士山はその声がする北のかなたを見ました。それは雲の上へ、ちょこんと頭をだしている八ヶ岳の神様でした。「まあ、八ヶ岳の神様、なにをおっしゃるの。わたしが日本一高い山にきまっているじゃありませんか。」富士山はぐっと背伸びをしていいました。
「いやいや、とんでもない、わたしが日本で一番高い山だ。八ヶ岳も負けずに肩をいからしていい返しました。「いいえ、わたしです」「いや、わたしじゃ」富士山と八ヶ岳は、お互いに自分のほうが高いんだと言い張って一歩も引きません。こんなことが5年も10年も続きました。この様子をごらんになった阿弥陀如来様は、「神様同士が争いをするなんて、本当に困ったものだ。」と、顔をしかめました。何か、良い知恵はないものかと幾日も考えました。ーああそうだ、これはよいぞー阿弥陀如来様はポンと手を打ちました。それは、富士山から八ヶ岳まで長いトイをかけて、水を流すのです。
水は正直ですから少しでも低い方に流れます。さっそく阿弥陀如来様はトイを作りました。トイは富士山のてっぺんから八ヶ岳のてんみねまで掛けられました。まるで一本の橋のようです。さあ、いよいよ水を流します。富士山と八ヶ岳の神様はじっとみまもりました。さあて、水はどちらへ流れるでしょう。あっ!水はピシャ、ピシャと音をたててどんどんと富士山の方に流れていきました。富士山が低いことがはっきりしました。さあ大変です、富士山は黙っていません。「そんなことがあるものか…。」髪をふりみだしかんかん怒りました。富士山は女の神様ですが負けず嫌いでした。「ああ、くやしい」いきなりありったけの力で八ヶ岳山をけとばしました。ガアーン!天も地もこわれてしまいかと思われるほどの、すごい音がしました。
ザア、ザア、ザア、ガラ、ガラ、ガラ。
八ヶ岳は山頂から崩れ落ちました。何日も続いてやっと止まりました。
そのために、八ヶ岳は八つに裂けて、富士山より低くなりました。
山をお作りになる神様に二人の娘がいました。
一人の娘には富士山を作って住まわせました。もう一人の娘には、浅間山を作って住まわせようと、諏訪の土地をたくさんはこびました。そのため諏訪の土地に大きな穴がぽこんとあきました。蓼科山は八ヶ岳の妹でした。困ったことに蓼科山は、兄さんの八ヶ岳が富士山にけとばされてからずうっと泣きっとおしです。「お兄ちゃんがかわいそうだ…富士山より低くなっちゃった。」あたりかまわず大声で泣きました。蓼科山の両方の目からどくどく涙が流れました。とうとう音をたてて蓼科山のすそを走り、ひとすじの川になりました。そして、諏訪の土地のへっこんあところへ流れ込み、蓼科山の涙がたまって諏訪湖になりました。ちょうどその頃、「でいらぼっち」という、とてつもない大男が現れました。背の高さは雲を突き抜け、人歩きの幅は4キロと、えらくでかいやつです。
「やいやい、えれえことになったぞ。あんな所へ湖ができたぞ‥。俺が一度に埋めてやるぞ。」でいらぼっちは、大きな手で二度、三度八ヶ岳をけずりとって土の山をひともっこ作りました。もうひともっこ作りました。大きな山が二つできました。なにしろ諏訪湖を埋めようというのですからたくさんの土です。でいらぼっちは、天秤棒をかつぎ「うーん」とひとうなりしました。二つのもっこの土を軽々とかつぎました。そして、八ヶ岳のふもとから諏訪湖をめざして急ぎました。まるで二つの山が空を歩いているようです。しばらく行ったときでした。天秤棒がボッキンと折れました.。「ドッサーン」二つのもっこの土は落ちてしまいました。「やあやあ、いけねえことをした。」でいらぼっちは頭をかきかき神之原村へ行きましたが、新しい天秤棒あいにくありません。しかたなく、粟沢村へいって貰いました。大あわてで引き返し、「よいしょ、よいしょ。」と、担ぎ上げようとしましたが、もっこはびくとも動きません。「こりゃ、おかしいぞ。」肩にかけ直し、足をぐっと踏ん張って何回もうなりましたがやはり駄目です。二つのもっこの山はすっかり地にひっつきました。しょうがないので二つの山を粟沢村にくれました。でいらぼっちは、どこかに行ってしまいました。
※現在茅野市玉川、泉野、豊平の境に、少しの間隔を置いて二つ野山が並んでいます。
諏訪湖に近く大きい方が小泉山、八ヶ岳よりの小さい方が大泉山です。
茅野から八ヶ岳を越えて佐久へ通ずる中山峠に、賽の河原というところがあります。
そこに、長者と美しい娘が住んでいました。二人は、峠を越える旅人が苦しんでいるとき泊めてやり、助けてやりました。たいへん山の中でしたが、幸せな毎日を送っていました。
ところが、ふとしたことから長者が病にかかり寝込みました。病気はどんどん進み、誰が見てももう少しの命のようです。「わしの命は、もう二、三日の命だ、幸せにおくれよ。」
ある日の朝早く長者は娘をよんでそう言いました。娘は、あまりの悲しみにただおんおん泣いていました。その時です。「トントン」と、戸をしきりにたたくものがいます。
いまじぶん旅人が宿を求めてくるなんておかしいな。娘は、あまりに戸を激しくうつので戸を開けました。するとどうでしょう。一匹の白い馬です。白駒が口に紙をくわえています。紙を取ってみるとそれは手紙です。
「わたしは、八ヶ岳に祭られている女神です。お父さん思いのあなたの願いをきいて、命を延ばしてあげましょう。この白駒に乗って黄色い花の咲いてるところを探し、そこへ、お父さんを連れていき養生させなさい。望みがかなっても家に戻っては行けません。同じように病気で苦しんでいる人がたくさんいます。その人たちをここに連れてきて救ってあげなさい。」と書かれていました。娘は白駒に飛び乗りました。白駒は矢のようにすごい速さで山をかけ登り、谷を下り、崖をよじ登り、岩を飛び越え、八ヶ岳じゅう探し続けましたが、どこにも見あたりません。しかたなく、とぼとぼと引き返りて硫黄岳のあたりまできたときです。大きな岩のかげのところに、目がまばゆいほどの黄色い花が一面に咲いているのを見つけました。それは硫黄の湯の花でした。さっそくお父さんを連れてきて、ここで病気を直すことにしました。黄色の湯の花を熱いお湯に浸し、そのお湯をお父さんの体につけてやりました。すると、日一日と良くなり、もとの元気な体になりました。
娘は、いつまでもここに残り病気の人を救おうと思っていました。でも、しばらく生活しているとここは暮らしにくく、病人を連れてきて救ってやるのはたいへんなことで、悪いと思いながらも家へ帰ってしまいました。しばらくは何事もなく過ぎました。
ところがある日の夜明け、白駒がきました。娘は、すうっとひとりでに馬の背に乗せられました。白駒は山のいただきのほうへどんどんかけました。やがて、林で囲まれた静かな池のほとりの大きな岩の上に立ちました。「ヒヒーン」白駒は山中にしみこむようにいなないたかと思うと、娘を乗せたまま池の中に飛び込んで消えてしまいました。
それから、この池を白駒の池とよぶようになりました。
そして、女の人がこの池に顔を映して洗うと、たちどころに長者の娘のような美しい顔になると伝えられています。
全文:茅野市観光雑学辞典