「蓼科と八ヶ高嶺の裾遠く、起き伏すところ、おのずから清き水湧き、人と住めり、古き時より」
これは私の中学校の校歌の一節です。私は、白樺湖より大門街道を少し下った柏原という集落で生まれ、祖父母に育てられ中学校まで過ごしました。
表紙の写真のような景色を毎日見ながら、往復10kmの田舎道を道草を精一杯しながら中学校に通ったものです。まさに蓼科山と八ヶ岳の自然に育てられたといっても過言ではありません。生活は本当に貧しいものでしたが、大きな自然と村人たちの両親と変わらぬ温かさ、厳しさ、時間の流れの緩やかさ…、今思えば本当に幸せな瞬間でありました。子どもたちの労働は生きるための大事な働き手でありましたし、幼子なりに自分は家族のために大変役立っているんだという確かな実感もありました。田植え、稲刈り、草取り、肥桶担ぎなど一通りのことは手伝ってきたのです。
あれから40年という歳月があっという間に流れようとしていますが、子どもの頃に体で感じ取ったものは今なお、生きる力を支えているんだなと実感しております。だから、私は、この気持ちを21世紀を生き抜く子どもたちにどうしても子どものうちに体感してほしいと思います。そして里山を愛し、友達を愛し、自分を愛し、家族を大切に思い、いつも感謝の気持ちを忘れず、我慢のできる子どもに育ってほしいという願いを込めながら、あえて今、緑住空間体験を一人でも多くの子どもたちにしていただきたいと叫びたいのです。 女将 |